「気配りが足りない」の原因

自分も知っている若手社員のことを、
「気配りがもう少しなんだようなあ」
ということを聞いた。


確かに、自分としても、その方は、そういるところがあるなあ、
という気がする。


一方で、まったく気配りは問題なし、
という若手もすぐ頭に浮かぶ。


なにが違うんだろう・・・・


仕事に対する誠実さ? いや、とてもまじめだ。
じゃあ、暗いとか? 十分明るい。
それじゃあ、学力か? 学力が気配りだったら変だろう・・・


じゃあ、なんだろう・・・・


いろいろ考えていきついたのは、以下の答え。


「気配りがある」
ということの前提の姿勢として必要なのは、
「自分が何を知らないか? に意識的であること」
という答え。


逆に、
「自分は○○は、知っている」
ということばかりに頭がいってしまうような
思考回路だと、「気配りが薄い」
となるのではないのかな、と思った。


若いのだから、知らないことは多い。
ここで、
「あれがわかった」「これもわかった」
ということを数えている方よりも、
「まだ、あれがわからないなあ」
「これも、もうひとつ納得できない」
とやっている方のほうが、
明らかに腰が低くなって回りに注意深くなる。
そういう方のほうが、周りからすれば
教えやすい。


そんなことを思った。


これが正解かどうかわからないが、
そんなことを考えていたら、その
「気配りが足りないと思われている方」
が俄然気になってきた。


そのうち会話を交わす機会もあるだろう。
そのときは、ちょっと気をつけて、会話してみようと思う。


まあ、若いので、そのときまでに
「気配りの効いた方」になってしまっているかもしれないが。
(そう願うのが、筋ではある)



<去年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20101219


<目に入ったニュース>

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