新鮮さ・練習の功罪  

もう一つ”練習”という言葉があまり好きでないのは、練習が新鮮さをなくす結果に繋がるケースがあるためだ。2章4節で書いたパットメセニーの言葉にある。繰り返しなるが、もう一度記載しよう。
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「ツアー中は、本番以外、敢えてギターを触らないようにしている。そのほうが、いいフレーズがでやすいんだ」(パットメセニー談)
超一流のプロの言葉なので、自分とは次元の違う話なのだろうが、考えてみると、「練習」っていうのは、ある決まったフレーズを繰り返し弾くことが多い。できないことをできるようにしようとするのだから、当たり前だろう。しかし、ジャズみたいな音楽にとっては、「練習によって同じフレーズがでやすくなってしまうこと」は、マイナスなのかもしれない。おそらく一番いやなのは「マンネリ」で、自分の演奏が自分で退屈になることだ。
そう考えると、プロは大変だ。演奏ツアーでは、お客さんの前で演奏するわけだが、お客さんは『その人ならではの演奏』を聴きにくる。簡単にいうと、「CDで聴きなれたあの音」もしくは、それ以上の演奏が期待される。ということは、同じようなフレーズを期待されているということに近い。即興演奏であるジャズでも、その人ならではの語法・節回しを聴かせる、という意味では変わらない。確かに、「本番以外弾かない」というのも、そのときのパットメセニーのようなジャズプレイヤーで、自分らしさを保ちながら、合わせて自分自身にも新鮮な気持ちを保つという意味では、有効な方法だったのだろう。  
ある意味、ギターが下手で、ちょっとずつ、うまくなっていく過程が楽しめてるアマチュアギター弾きは、すごく高度な技術の曲を弾いているが、毎日同じ曲で退屈してしまっているプロよりは幸せだと思う。(その方をプロと認めるか?という違った視点の議論もあるだろうが・・・)もちろん、下手ゆえ、弾けるフレーズが限られてしまい、行き詰ってしまうという方向の「退屈」から、如何に逃れるかということに苦労しているというのが、普通の自分の姿であり、普通のアマチュアなのだろうなと思う。
/////////////////////////////////////////// 以上2-4から。  

2-4では、これを休みの効用、意味といったところから、言及しているのだが、その反対側の「練習」といった意味からみても、面白い見方ができると思う。というか、そっちからの言及でいわれたものであろう。
練習とはどうあるべきか? といったことをこのような視点から考えてみると、練習といっても技術的な練習も大事だが、新鮮さをいかに保つかといった違った視点の練習、いや、訓練・・・やり方・・・いい言い方が見つからないが、そんなことを考慮に入れておくのは大事なことと思う。
楽しいと感じるのは、少しでも演奏に新鮮さを感じるからだ。ということは、自分がその演奏に飽きていないということだ。そしてそれはちょっとずつかもしれないが、進歩しているというころだろう。
そうしてみると「楽しむ」ことがまず第一ということか。