人前での演奏の緊張について

今日は、比較的はやめに帰宅したのだが、家族の用事で、食事が10時過ぎとなり、ギターあんまり弾けなかった。ふと思うと、今週末の日曜日がクラスタフリーコンサートではないか・・・。そう思ってこの1ヶ月を振り返ってみると、「いろいろ迷っているなあ」という感想と、「結局、変わっていないなぁ」という感想2つ感じている。
クラスタのフリーコンサートについていえば、”緊張”についての考え方がずいぶん変わってきたなと思う。

緊張する?

いまだにクラスタフリコンでの演奏は緊張する。しかし、その緊張になれた。
「緊張というのは、慣れないから緊張であってそれは緊張してないことなんではないの?」
という考えもあるが、他人の前で演奏するのは、やはり通常の空間とは違っていて、自分でコントロールできない状況が発生するを感じるので、やはり緊張はしているのだ。
ただ、1年前の、
「途中で何弾いているか分からなくなるくらい緊張した」
というころと比べれば、緊張しなくなったといえるかもしれない。
あとは、弾くことの目標が、「うまく弾く」から、「”あれ”を無くなさないように」にかわったのも一因と思う。

うまく弾けることの先に・・・・

「うまく弾きたい」
この気持ちは演奏者として当たり前だ。
で、それがうまくいかなくて、手がふるえちゃったりするのが緊張だ。
一生懸命練習してきたのをみんなの前で弾いて上手に弾けると、相当うれしい。
自分もそうだ。
そしてあるときふと思った。
「上手に弾けた。よし!これはいつでも上手に弾ける。で、次は?」
上手に弾くのは、ある曲1曲に絞ってそれを1万回練習すれば、それなりになるだろう。
で、弾けたとして、ふと、「さて、どう弾くか?」と思ったのだ。
同じ曲を弾くとしても、毎回新鮮な気持ちで弾けるのは、
「上手に弾けた次にあるもの」をみているからだ。
そう納得してから、緊張の種類が変わった。
ちょっとへんだが、今練習している曲について、
「(実は今は上手にひけないのだが)上手には弾けるようになった。で、どう弾くの?」
という自分への問いかけを先にしてしまう。
マイルスデイビスはレコーディングのテイクをあまり取らなかったらしい。(諸説あるが・・・)
で、
「どうしてですか?」
という問いかけに対して、
「あれがなくなるからだよ」
と答えたらしい。
自分も”あれ”をなくしていない演奏をしたいと思う。