難解であること

言葉で説明できない、
ということはたくさんある。
自分としては、音楽がまさしくそれで
歌詞つきの楽曲がどうしても作れない。


表現したいこと、
はあるのだが、それは言葉には
しにくい。
というか、してしまうと
「ちがうな、これ・・・」
となってしまう。
なので、インストが自分の
音楽での作曲スタイルだ。


で、
実は文学という
「言葉を使った表現」
でも、つきつめて考えれば
同じかもしれないな、
と思った。


矛盾しているようだが、
以下のような考えをもったのだ。


ある哲学の解説書で、
「この筆者は、わざと難解に書いている」
という解説を目にした。
つまり、
「言葉にしにくいものだけど・・・」
というのを一回棚上げして、
とにかく読んでみて・・・


というような
書き方だ。
そうすることで、
読者は、自分は何をベースにて
この理解をしようとしているのか?
という1次元上がった視点を欲する。


ここまで読んで思った。
なるほど、よく考えてみると、
なんでもそうだな、と。


「そう思う」
のが極めて普通に感じたこと、
思ったことであるばあい、
特にそれに対し、なんにも疑問に思わないが、
そこを敢えて
「なぜ自分はそう思ったのだろう」
と考えてみる。


そうすると、どんなことでも、
それなりに「難解」だ。


そういう風に考えてみると、
この自分の書いているブログだって、
読者(将来の自分も含めて)
にこういう風に感じてくれるかな、
などと思って書いているという1面もあるな
なんて思う。



「難解さ」
は読者への期待だ。


全部わかるように書くのではなく、
読んだ人それぞれが感じたように
かんじてくれればいい、
といったことか。


なんだ、
それじゃ、自分がやっている
音楽といっしょじゃんか、
なんてことも思った。



以上、
よくわからない今日のブログであるが、



これで、いいのだ。




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