身体の自動化について

走るフォームについての記事を
おととい分のブログに記載した。


で、その動きをいろいろやっているが、
意識してやると、相応にできる。
しかし、続けることは難しい。


なぜ難しいか、というと、
1つは、いままでやってきた
身体の動きと違うため、新しい
動かし方をすると、新しい筋肉が疲れるから。
もう1つは、意識していないと、
その使い方ができないので、
精神力が疲れるから。


そこから思ったのは、
「できるだけ、考えない」
というのは、どういうことか。ということ。
違う言い方をすると、
「意識するとするなら、どこを、なにを意識するか」
ということ。


子供のフォームは美しい。


子供は何を考えているのだろう。


少なくとも、
「いいフォームで走ろう」
とは思っていない。


凡人の自分はいろいろ考えてしまうのだが、
まずもって、
「なるべく脱力して走ろう」
「なるべく楽に走ろう」
ということは、間違いではないと思う。


「身体の自動化能力」って
きっと浅はかな考えより
使えるものであろうと思う。



<過去の今日>
「雨の山登りを思う」
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20140702
「雨の山にいってみたい」
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20130702

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