手帳をつけなくなってしまう期間

昨日のブログで
「流されている感じ・・・」
と書いたり、休日の過ごし方が
いまいちだったり。
そのことは、手帳にも
てきめんに現れている。


自分は、
・TO DOとスケジュール管理に特化した手帳
と、
・完全な雑記メモ帳
を使っているのだが、
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20060701参照)
この前者のスケジュール管理の手帳の方が、
見る機会が激減し、結果として、
空白欄となってしまっている日が
多くなっている。


「納期・仕様が明確な仕事で忙しかったから」
(手帳なんか、見てる暇ないし、みなくてもやらねばならないことは
 わかっている状況)
といえるのだが、よくない傾向だ。
結果として、細かい仕事で、
「後追い仕事」が増える。
後追い仕事になると、
「仕事を追っている」
という感じではなくて、
「仕事に追われている」
という感じになる。
気分的によろしくない。


なにが原因か。
いくつか、思い当たることがある。


「TO DOをノートに書くように変えてみた」
確かに!。
TO DOは一番頻繁にみるものだから、これは小さくない理由だ。


ゴールデンウィークには雑記メモ帳のみですごしてみた」
手帳をみることは習慣みたいなものだから、
これもそうかもしれない。


以上が大きな理由だが、
それだけでなくて、もっと本質的な
理由があるような気がする。


それは、自分の
「メモ帳の使い方」
というのは、
「定期的に、うまく使えない時期がやってきている」
ような気がするのだ。
1年に何回か、2週間程度、
ほとんど手帳を開かないという
期間が続くことがある。
それでも、問題なく過ごせるし、
充実していないわけではないのだが、
しばらく続けていると、
「足元が浮いた感じ」
となり、手帳をまた細かく使い始める。


この
「足元が浮いた感じ」
というのは、理屈でもわかって、
「仕事がうまくいっているかどうか?」
を自己評価するには、
『事前に自分できめた、これだけやろうという計画を
 どれくらい達成できたか』
ということが必要。


仕事には、
・手帳に計画を書く自分
と、
・それを実行する自分
の二人の自分が必要なのだが、
前者がいなくなってしまって、
(つまり前者の計画をする自分がいなくて)
評価ができなくなる。
そうすると、
「足元が・・・」
という気持ちになるということだ。


しかし・・・
わかっているのに、なぜか
「定期的に手帳をみなくなってしまう期間」
は、やってきている。


ということは、それ、すなわち、
「予定をみたくない、立てたくない自分」
というのも、自分のなかにいるのだ。


こいつの欲求はなんなのか。
・・・ただ面倒だから・・・
といってもいいのかもしれないが、
・・・少し違う。



・なぜか自分の部屋の掃除はなかなかできない
・「いつかやろう」という「いつまでもやらない」こと
・「連絡しなくては・・・」とわかっていて絶対連絡しない
そんな感じと共通のものを感じる。


しかし・・・・
今、手帳に今日からのスケジュールを
細かく書いているのだが、
そうしてみると、とてもその
そのスケジュール書くことが、
楽しく感じてしまっていたりして・・・・


なんなんだろう・・・。



<昨年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20070602
<目に入ったニュース>
・ロックンロール生みの親 ボ・ディドリー氏死去2008.6.3 12:33
亡くなったボ・ディドリー氏=05年9月(ロイター) AP通信によると、力強いリズムを持った音楽により、ロックンロールの生みの親の一人として知られる米ロック歌手のボ・ディドリー氏が2日、心臓疾患のため南部フロリダ州の自宅で死去した。79歳だった。
「ボ・ディドリー・ビート」といわれるサウンドは黒人音楽ブルースとロックンロールをつなぐ役目を果たし、ローリング・ストーンズブルース・スプリングスティーンら多くの音楽家にも強い影響を与えた。日本でもたびたび公演を行っており、ファンが多い。
1928年、ミシシッピ州生まれ。シカゴに移ってからギターを習い、10代でストリート・ミュージシャンとして活動。55年にデビュー・シングル「ボ・ディドリー/アイム・ア・マン」が大ヒット。87年にはロックの殿堂入り。昨年5月に倒れるまで演奏活動を続けていた。
(ご冥福をお祈りします)



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