鳥の撮影という趣味について

ギター、ランニングに続いて、
このところバードウォッチングによる
鳥の撮影、いわゆる鳥撮が
趣味になりつつあるのだが、
ギター、ランニングに比べると、
あとちょっと「乗り切れない」
と感じている。


面白くない、というわけではない。
面白い。
ただ、その面白さがまだ
自分のものになっていない。


単純にいえば、自分として、
「いい写真が撮れた」
と思うときと、
「いい写真が撮れなかった」
という境目がわからない。


「撮ってみたら たまたまよかった、よくなかった」
という状況。
「なぜそれをよいと思うのか」、
自問自答している。


もちろん単純ではない。


構図、色、タイミング、被写体と背景
もう、さまざまな要因が絡み合っている。
果ては
「ストーリーを感じるか」
なんていう評価軸まで自分が
もっていることをこの頃自覚した。


でも、最後はシンプルに
「いいか悪いか」だ。


で、逆説的な物言いになるが、
この理由が明らかにわかってしまうのも、
趣味としては、NGだろうなと思う。
「完全にわかる」ということは、それは、
「撮る際の驚きはない」
ということにもなりそうだから。


と、こういう途方もないことを考えをしたりして、
・・・なにが楽しいのだろう。
となる瞬間がある。


でも、とにかく・・・・
「かわいい鳥は圧倒的にかわいいし、
  美しい鳥は圧倒的に美しい。
    それでいいや」
というのが、正解なのだろうな。


<過去の今日>
「飽きない理由を考える」
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20151204
アメイジンググレース」
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20141204
「農業思考」
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20131204

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