いくつかの家具を捨てた。
新しい間取りで入らないからだ。
どれを処分するか、は専ら家内の選択だが
決めるのはきつそうだった。
長年使ってきた家具だから、
それはそうだろう。
しかし、冷静にみてみると、
「ほぼ使わない」
という家具は存在する。
それは、「思い出」ゆえに
捨てられないもので、
機能としては、すでに役割を
終えている、といってもいいだろう。
などということを思っていて、
ふと、
「自分は、死ぬとき、どれくらいの
家具とか、道具とかを
身の回りにに残しているだろうか」
という考えが頭に浮かんだ。
「扱いきれる最低限」
の方が、気持ち的には楽に思えるが、
「思い出に囲まれている」
というのも、ありなのだろうな。
<過去の今日>
「#138クラスタフリーコンサート」
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20140215
「レスリングニュースからポストオリンピックを考える」
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20130215
><