このところ、通勤の車の中で、英語放送を
聞いているのだが、残念なことに、
まったくわからない・・・。
しかし、いろいろ考えることがあり、
続けている。
言葉というのは、
お互いに話者と聴者が、
自動的に同じ文章を頭のなかに
発生させているのだろうな、
と思う。
また、そうしながら
同じような「雰囲気」
というか、「質感」というか、
そういうものを共有しているのだと
思う。
話ながら「笑い」がでるのだが、
これは、
「それを共有できているね」
という印ということを強く感じる。
というのは、自分が一番、
あせる、というか、
イライラする、というか、
悲しい、というか
そういう感情を持ってしまうところが、
この笑いに入れない自分を自覚するところだから。
「○○語が話せる」と思えるかどうかの
本質のところは、ここらへんなのだろうな。
<去年の今日>
「続いた筋肉痛から」
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20130917
<目に入ったニュース>
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