目線を落とした走り

「目線を落とした走り」
などと書くと、なにかで失敗して
落ち込んでいるのをランニングで紛らわそう
としているような、暗いシチュエーションが
連想されるかもしれないが、そうではない。


坂道、とくに登りで、自分は、
「登りのおわり」がみえると、
そこに向かって、どうしても
力をいれてしまう。


まあ、そのあとは平らになるか
下りになる、ということなので、
それはそれでいいのかもしれないが、
今自分が練習している走りは、
「この坂道が永遠に続いても走り
  続けられるスピードに落として走る」
というもの。


やってみると、むずかしい。


坂道では、普通に走ると、
かならず、ぜいぜい息があがってきて、
それが苦しさになってくる。
当然ながらこの走りは、
「この坂道が永遠に続いたら
  走り続けることができない」走りだ。
ある程度息はあがるが、
「苦しくならない程度の息の上がり方」
でとまらないといけない。


ということで、
登り坂にはいったところで、
坂の数メートル前しか、あえてみない
ようにする。
すると、ずっとこの坂が続くかもしれないし、
すぐ終わるかもしれない、という状況で
走ることになる。
結果として、走り続けるためには、
走り続けられるくらいゆっくりに
スピードを落とすしかなくなる。


やってみて気づく・・・というか、思うのは、
坂道で走り続けられなくなるのは、
坂が見えているからではないか、ということ。
「坂の終わりに向かって力を出してしまう」
「平らなところを走っているのと、
   同じくらいの体感スピードをもとめてしまう」
ということで、走れなくなる。
これは、坂を目で見ているが故と思う。


もし、暗闇でゆっくりでいいので
ランニングを続けてください、
というと、かなり坂がでてくるコースであっても
走り続けられたりするのではなかろうか。
(闇夜に目の前の数メートルだけみて走って、
  翌朝、こんなコース走れたんだ!
  と驚いたりすることってきっとあると思う)


今日はまた、いっしんどう広場から
鎌倉天園ハイキングコースにいってくる
トレランをやったのだが、
今回の練習は、この
「坂道で、自分の数メートル前までしか
 視界にいれず、走りを継続すること」


結果は、自分としてはまあまあできたかな、と思う。


ゆっくりであれば、ある程度の坂まで
走りを継続できた。
つまり、歩き以外できそうにない急坂、階段以外
ほとんど走ることができた。


あと、はしっている途中で
思ったのが、毎晩三ツ沢公園のトリムコースの
坂を毎日走り続けているが、
これが結構身になっているかな、ということ。
ここの坂は、三ツ沢のあの部分と同じくらいだな、
などと思いながら走ることができたのだ。


このまま継続して、
「自分の身体にかかっている負荷の大きさ」
についての感覚がもっと鋭敏になれれば、
と思う。



<去年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20120907

<目に入ったニュース>

><