私とは何か「個人」から「分人」へ 読了

私とは何か「個人」から「分人」へ 平野啓一郎著 読了。


「自分探しの旅」
自分は、嫌いなワードだ。
「本物の自分」というのは、どっか
違う場所にいる、という考え方って変だ。
だって、自分がみえるのは、周りの方との
関係性のなかでしかみえない。


子供のころ、何度かの引っ越しで、
「友達総とっかえ」
を何度も経験している自分だから
そういうふうに思えてしまうのだろうか・・・


なんてことを、思うことが過去にあった。


なので、
「人、対面している方ごとに、違う自分である」
「その違う自分の総和が自分である」
こういう考え方を分人と定義し、
「人は個人というわけられない単位である」
という考え方からすすめてみてはいかが、
との筆者の考え方は、わかる、というより、
「自分にとっては、なのかな・・・・そんなの、当たり前じゃん」
と思えてしまって、本の前半は退屈だった。


しかし、後半は違った。
その考え方で、社会とのかかわり、
(相手が好きになるも、嫌いになるも、
  半分は自分側に責任がある)
(犯罪者は、社会関係がそうさせたなら、
  個人のせいではなく、みんなが責任あるはず)
恋愛観(これは、面倒なのでここでは書かないが、面白い)や、
故人(分人としてもっていれば、その人のなかに故人は生き続ける)
とのかかわりまでつっこんだことが
書かれており、
ここは大変面白かった。


そして、そういう視点から
「自分探しの旅」ももう一度解説が
されていて、そうすると、
なるほどね、わかるのはわかる、
という気にもなった。


人間関係とかで、納得いかないことが
多い方は、読んでみることをおすすめ。


面白かった。



<去年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20111213
<目に入ったニュース>

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