「語り」「綴り」に音楽を聴く

自分はギターが趣味だが、
とても好きな楽曲と、すばらしいのだけれど
どうも好きになれない曲がある。


そして、このごろ思うのは
それは、音楽のみならず、
「語り方」、「綴り方」
にもそういうものがあるなあ、
ということ。


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ギターが趣味の自分。
曲の高度さみたいなことはおいておいて、
好きな曲と好きになれない曲がある。


で、ふと思ったのだが、
それは、
「語り方」、「綴り方」でも
同じなのかもしれない。


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音楽が好きな自分。
しかし、好きになれない曲もある。


で、それは、
「語り方」や「綴り方」でも
そうらしい。


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あの作曲家の曲は好きだけど、
その作曲家の曲はきらいだ。
だれにでもあることと思う。


で、このごろ、それは
しゃべり方やものの書き方でも
あるなあ、と思う。


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以上、同じことを、
同じように、だけどリズムを
変えて書いてみた。


「自分の肌に合う文章」
「自分の肌に合う語り方の人」
というのがいる、というのことを
このところ、いろいろな場面で
感じている。


話言葉でいってみると、
話している内容、ロジック、
これはもちろん大事なのだけれど、
それと同じくらい、
・どれくらいの声の大きさで
・どれくらいのトーンで
・どれくらいのスピードで、
・どんな表情で、
・どんなアーティキュレーションで、
というのも、すごく大事だと思う。


「合う合わない」
はロジックの部分と同様、
これらのことが重要だと思うようになった。


加えて、
ロジック、すなわち「答」
は同じでも
「ロジックを表現するやり方」
の良し悪しが大事だと思うようになった。
その「やり方」、「構え」
というのは、廻りの方を
感化するような力があると
感じるから。


そんなことを思ったら、
すべての語り、すべての文章が
音楽として聴こえてくるような
気持ちになった。


きっとこれは、いいことなのだ、


と思う。



<去年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20090310
<目に入ったニュース>

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