反省として

演奏されたものは、
もちろん演奏者の表現だが、
聴かれたところからは、
聴いた人のものとなる。


本は、著者のいいたかった何かが
書かれているものであるが、
読者を得た瞬間、それは読者のものとなる


演奏者も著者も、
こう聴いてほしい、こう読んでほしいという
ところはあるのだろうが、
100%ねがったとおりになることなどない。


絵とか美術はもっと、簡単にそういえるもの
かもしれない。
同じ絵をみても、感じ方は十人十色。


芸術というのが、
「人の心になんらかの動きを生じさせるもの」
ということであれば、
そういう表現は、
「芸術に接する礼儀」みたいなもので、
やっていったほうが
いいもの、と思う。




しかし・・・・


ブログとかで、書いてしまうのは、
気をつけないといけないだろうな、
と反省した。


距離が近い人との間で
それをされると、「遠く感じる」
という気持ちになるだろう。



「どう書かれるかわかったもんじゃない・・・」
という気持ちが生じてしまえば、
心の距離は近づくことはなくなるだろう。


これも考えてみれば、
というか、感性をちょっとそういうチャンネルに
あわせれば理解できること。



芸術に接したとき、
「こう感じた」と素直に表現することは、
芸術に対しては、ぜひともするべきことだが、
それは、表現する方向を
ちゃんと考えてせねばならない。



「公共」というのは、感謝の表現をしたとき、もっともうれしく感じる場で、
「公共」というのは、感謝の表現を欠いたとき、最も暴力性を感じてしまう場・・・



反省として。