主体的?

マネージャー。
中間管理職だが、そのための
研修講義みたいなのを会社で聞いた。


今マネージャーは、
「主体的」マネージャーでなければならないとのこと。
自分なりの評価軸をもって、
主体的に評価できるマネージャーであることが
肝要だという。


ふーん・・・とさらっと読めてしまうが、
違和感を感じる。


「主体的マネージャー」
の対となる言い方ってなんだろう。


「客体的マネージャー」
なんだそれ?


「主体的でないマネージャー」
なんてことでは、なんだかさっぱりわからない。


なんでこんなことを
思ったかというと、
「評価の軸」
というものは、どんな軸であれ、
「自分が主体的につくったもの」
であるはずはないと
思ったからだ。


評価は、自分を含めて
他人と共用することがなければ、
なんの意味もない。


多くの人を束ねるマネージャーの
評価であれば、当たり前だと思う。


そう思うと、
「主体的」というのは、
「たんなるわがままでもいいの?」
と天邪鬼なことがいいたくなる。
(もちろん、そんな質問しなかったが・・・)


「主体的」
と言う言葉に対して、
自分は、滅私奉公の「滅私」ということを
対として考えてしまった。


マネージャーのポジションにいて、
入ってくる情報、
上司からの期待、部下からの期待、
そういったものをもらったとき、
会社の理念を合わせて、
「会社としての公人」
として、つまり、滅私で評価を
下すマネージャーというのも、
十分評価に値するのではないか?



主体的ってなんなんだろう。


「普通のマネージャーであること」
は今は評価いただけないのだろうか。


まあ、あんまり深く考えなくても、
いいかな。



<去年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20080706
<目に入ったニュース>


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