逆なのかも

そんな思いが強烈な展示会をみて、
また思い出して頭から離れなくなったとき、
ふとある思いが頭に浮かんだ。


逆なのかも・・・・


「なんで、そういう風に死者は永遠なんて思ったのか」
ではなくて、
「そういう神話を作った民族だけが、現在まで生き残った」
のかも知れない。


すなわち、そういう考え方をすることが
人が子孫を残す上で、必要だったのではないか。


そう思ってみると、なるほど、と思えることが多い。


「多くの人が同じストーリーを持つことができた民族」
だけが、
「多くの人の力をまとめることができた」
ということだ。


その物語は、人間が絶対通る道で、
絶対分かりえないこと、すなわち、
「死者」から・・・というのは、
大変分かりやすい。(し、都合がよい)


「死者」は実際は、もうものを言わない。
あえて言えば「思い出」があるが、
「思い出」は思い出す側が
「自在にストーリーを選び作れる」(おそらく無意識に)


「死者を思うこと」
は、
「同じストーリーを作れること」
で、
「力を合わせることができること」
で、
「人間が歴史を生き抜いて聞くために必要であったこと」
  (神話を持たず、力を合わせられなかった民族は滅んできた)
だった。


というように思ってしまった。


だから、古代エジプトの展覧会から自分が得た
「理由の分からない親しみや興味」
というのは、自分も
「神話を持つことで生きながらえてきた民族の一員」
ということを自分のDNAが感知していたのかもしれない。


神社におまいりに行って、お墓参りをしたくなった。



<昨年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20080405
<目に入ったニュース>




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