「大変さ」と「幸不幸の感覚」。結果を見通すこと

出張から帰って
夕食を済ますと、既に22時。


タイミングよく
NHKのプロフェッショナル仕事の流儀をみた。
今回は、科学者 小池康博さん


プラスティック製の光ファイバーの研究の
第一人者ということで、
ガラス製とばかり思っていた
光ファイバーをプラスティックでつくることで
すらすごいとおもうのに、
更に光を分散したり、
大きくきれいな画像を相当の薄さで
作り出したり、すばらしい研究だ。


現在量産に向けて研究中とのことだが、
確かに完成したらすごいだろう。



で、そういうすごい方なのだが、


その研究成果に負けず劣らず・・・
というか、それ以上にすごいと
思ったのは、
「この技術を生み出すまで14年、
 たった一人でチャレンジし続けた」
ということ。
しかもその間、7,8年だったか(よく覚えていない)
研究がうまくいかないとき、
米国から引き抜きのオファーがあったとのこと。
それを断っての14年だから、
すごく辛い日々に思える。


おそらくテレビを見た人みんなが、
すごいと思ったと思う。



でも、自分もそう思って、
「いや・・・ちょっと待てよ」
と考え直した。


いくらなんでも14年、
「辛い」
と思いながら過ごすのは無理だろう。
この方は、この研究が楽しかった・・・といっては
語弊があるかもしれないが、
充実したものであったに違いないと思い直した。


そうしていると、
全く同じことがご本人から言葉となってでてきた。



「それをやっているとき、じゃ、自分は大変だったかといったら、
 それは大変でしたと答えるけれども、
 じゃ、不幸だったかというと、
 そうではなかったような気がします」


そうだろう。


同じように思うことが自分は結構あって、
例えばエジプトのピラミッド。
あれ作るのに、
「奴隷さんがものすごく辛い思いをしてつくった」
と考えてしまうが、
実は、
「めちゃくちゃ充実して作った」
(奴隷なんていう、やらされ感ではなく、
 名誉ある仕事として取り組んだ)
と思える。


何年もかかるけど、
「すごい大変だけど、幸せ」
と思ってやっていたのではなかろうか。


近いところでは
北京オリンピック


中国の方が一丸となってつくった
すごい催しだったわけだが、
あれが「やらされ仕事」
とは、もちろん、まったく思わない。


「大変さ」と「幸不幸の感覚」
は違う。


ただ、その上ですごいと思うのは、
ピラミッドも北京オリンピック
がんばれた大きな理由は、
成果が逐一みえるようになってくることが
あるのだが、
未知の研究は、結果は見えないわけで、
そこでがんばれることがすごい。


「こっから穴をほってくれ、
 ゴールは、○○m先だ」


といわれるとやれるけど、


「ゴールは、5cm先かもしれないし、
 5km先かもしれない。
 わからない」
といわれたら、とてもできない。


小池さんは、
結果だけは、見えていたに違いない。
つまり、
「自分がやらなければ、誰かがそのうちやること」
に見えていたと思う。


もしくは、
「1つずつ歩を進めるなかで、
 得ていくものが少なからずあった」


いずれか、もしくは両方があったのだと思う。


でもまあ、
一番根本の部分は、
「できると信じれるか」
というところなのだろうな。



「プロフェッショナルとは?」


「未来を予測するのではなく、
 自分で作り出すものと思っている人」
とのこと。
「できると信じている方」そのものだ。



PS
趣味はピアノで、
200曲くらい作曲しているとのこと。
で、
「心から沸き立つに任せ弾く、作曲する、のが楽しい」
とのこと。


うーーーーーん。


こちらの面で弟子にしてほしい。



<昨年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20070826
<目に入ったニュース>


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