突き詰めること

時々考えることがある。


現代音楽の全く調性なんかが
考えられない音楽や、
ジャズの完全なフリーなんかは、
突き詰めていくとどうなるのだろう。


昨日読了と書いた、井上有一氏の
伝記には、書において、このことを
突き詰めていった氏のことが
書かれている。


「完全にフリー」
というところを書道グループで目指したていたら、
「フリーなのに、みんなが似てきてしまった」
そうだ。


そして、井上氏はそのことに
強烈な嫌悪感を持ち、それほど
何年もすることなく、
完全フリーはやめとなる。


では、クラシック、書の世界では、
古い書を手本とする臨書だが、
これをどう思うか。


氏は晩年、
「臨書も作品」
としている。


これもわかる。


そして、
どっちも突き詰めるところまでやって
その上で、
マンネリを強烈に嫌っている。


自分は氏ほど徹底はできないだろうが、
そのスタンスにはものすごく共感を
覚える。



そのうち氏の書を
生で、じっくりみてみたい。



<昨年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20070807
<目に入ったニュース>
オリンピックサッカー男子は負けたそうだ。
 負けたことがもちろん残念だが、評価として
 「走れていなかった」
 というところが、特に残念。
 サッカーでは「走れなてなかった」
 という評価がなされることがもっとも
 残念と自分は思う。

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