小さい画面の不便さ・利点

連休中、暑い日ばかりだったが、
結構出歩いていた。
いつもならあまり休憩はとらないのだが、
さすがにこれだけ暑いと
適宜喫茶店やマックに入って
水分補給となる。


そんな休憩をしながら窓から外を
眺めていると、道歩く人が結構な
割合でケータイを覗いていることに気付く。
さらにそのなかには覗いているだけではなく、
いろいろ文字を入力しているのか
画面を切り替えているのか、
指を動かしている人もいる。


よくもまあ、あんな小さい画面で・・・
と思う。
特に自分は見るのはまだしも、
文字入力とかは、普通のキーボードでないと
まどろっこしくてやってられない。


そう思いながら、みているのだが、
それにしても相当の方が
歩きながらでも指を動かしている。


ここで、ふと気付いたのだが、
「画面が小さいよさ」
というものもあるなということ。


もちろんひとつは
「片手で操作できる」
ことなのだが、
では、すごおおおおおく軽くて、
「片手で持てるもっと大きい画面」
が売れるかなと思うと、
案外売れないのでは、と思う。


画面が大きいと廻りの人にみえてしまう。
あのケータイの画面の小ささは、
「まわりの人には見えにくい」
というのがいいのだ。


メールでやりとしている内容は、
はっきりいって、電話でやったほうが
速いようなやり取りが少なくない。
それでもメールを使うのはなぜかというと
ひとつの理由が、それが
「サイレントでできる」
という理由があるのではと思う。
つまり周りの人にみえないのだ。


画面が大きくなった場合、
いかに自分だけでその画面をみるか
(他の方にみえないようにするか)
というのが、結構大変だ。


このニーズで音の世界でブレークスルーしたのが
ウォークマンだったのだろう。


ウォークマンを音ではなく視覚でやるとすると・・・


『自分にだけ、仮想のパソコン画面が見えるメガネ(とかヘルメット?)』
とかだろうか。
できたらすごいとは思うが、
危なくて街中では使えない。
ウォークマンとかいって
 歩きながら使うなんてとんでもない)
結局意味なしだろうか・・・



以上、冷たいコーヒーのみながら。



<昨年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20070721
<目に入ったニュース>

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