残る記憶と残す技術

自分の仕事はデスクワーク
といっていいと思うが、自分のスタイルとして
「なんでも書く」ことにしている。
メモ、ノートといったものを
とにかく「書く」。


しかし、そうしていると時々
「これだけ書いているけど、
 その書いたものって、その後利用しているか?」
というクエスチョンが頭に浮かぶ。


メモについては、
とりあえず、1回は見返している。
必要あればノートとかにに転記する。
しかし、ノートの方は
あんまり2度みることはないなあ・・・
という気持ちになり、これって
意味があるのだろうか・・・
とちょっと心配というか、
どうなんだろう、と思った。


「2度見る必要がある!」
と確実に思うものについては、
自分の場合、自分のノートから
外に出す。
会社の「公文書」にしてしまうのだ。
議事録、出張報告、技術連絡書、業務連絡書、
等々・・・・
それほどのものでなければ、
「電話メモ」としてでもいい。
「第3者がみれ、保管していただける形にする」
ということでそれを自分のノートと
している感じだ。


しかし、
「それほどでもないけど、
 とりあえず、ノートしておく」
というのももちろんある。
これについては、ノートしかないのだが、
「もう1回みる」
ということが少ない。


この点がなんらか、改善する余地は
ないだろうか・・・
ということを考えた。


もう1回みるものとは、どんなものか・・・


すぐ頭に浮かんだのが、いつも使っている
手帳の過去のもの。
「あれはいつだったけ?」
とか
「あのときは、どんな状況だったっけ?」
ということで見返す。
野口由紀夫氏が本で書いていたが、
「記憶というのは、日時とのリンクが一番強い」
と書いていたが、ほんとそうだな、
と思う。


もちろん、自分のノートは
日時は必ず書くようにしている。
それなのに、「もう1回みる」ということは
多くない。


では、
「メモ帳と、ノートの違いとはなにか・・・」


メモ帳は、日時が定型になっていて
スペース、順番がかっちり決まっている。
一方、ノートは、これが決まっていない。


つまり、2回目みるとき、手帳の方が
圧倒的にみやすいということだ。


で、思ったのは、
能率手帳と同様の構成のA5サイズとかの
ノートを使って、もう1回みたいような
ことはそれに
(分量はきまってしまうとしても其のフォームを使って)
残していくのもいいのかなあ、
ということ。


ただ、スペースがそれでは足りないとなれば、
そもそも
手帳とダブルで大きさが違うだけの
同じフォームのものを持つのは
意味が無いことかもしれない・・・
とも思う。


でも、試すことは簡単にできそうだから、
6穴のプラスティック製の安い
A5ノートを持っているので、
それで、ちょっと試してみようかと思う。



明日は同じようなことを
趣味のギターで考えてみたことを
書こうと思う。



<昨年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20070707
<目に入ったニュース>
今日は昼休みちょっと散歩。


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