「新鮮さ」とかを考える

今日も子供の舞台を2公演みてしまった。
一昨日Aチーム、昨日Bチームと
配役の違いで、同じ舞台をみたが、
今日は1回目Aチーム、2回目Bチームと、
昨日までみてきたのと、
全く同じものをみることになる。


しかも内容はコメディで、筋わかってしまうと、
それほど笑えまい。
他の自分のやりたいことした方が
いいのでは?
そんな気持ちが少し浮かんだ。


しかし、家内から、
「天気悪いし、お客様少なかったら、かわいそうだから、
 桜でいいから、みて」
とお願いされる。


まあいいか。面白くないわけではないし。



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さて、同じ公演を2回以上、しかもコメディ。
もう、笑えるところはわかってしまっている。
・・・それでも笑えるか?
というような状況になったわけで、
当然ながら、一昨日、昨日より、
今日の方が、見る目は厳しくなってしまう。


(1)1回目から、笑えなかったもの。
(2)1回目は笑えたが、2回目は笑えなくなったもの。
(3)何回みても面白いを思えるもの。


それを自覚してしまう。
もちろん、(1)であったのが、(3)に昇格したものや、
ある俳優では(3)なのだが、もう一方の俳優では(1)とかもある。


どこが違うのか?
もちろん、台本のよしあしはあろう。
それはそれとして・・・・・
演技での違いからくるものもある。
それはなに?????


つきつめてみると、
「自分自身に倣っている、という感じにならず」
「毎回、完全に1回目と思ってやることが大事」
ということか。


うまくいったり、受けたりすると、
(もしくは他の役者のそういう受けをみたりすると)
次は、そのとおりにやろうとする。
台本どおりだから、それはそれでいいのかもしれない。


しかし、そういう感じがでてしまうと、
「演技の新鮮な感じ」
「演技の新鮮な間」
というのは殺されていく。


「毎回、初めて演じるようにやれるか」
ここが、演技の難しいところだ。


『自分の頭のなかに手本となる台詞と動作を作る』
のではない。
『自分の頭のなかに、違う人格を作る』
でなければならない。


例えば
「ねえねえねえ、あたしって変?」
という台詞があったとして、
これを、
「こんな速さで」「こんな声色で」
「こういう風に手を使いながら」
等々、覚えていくことは、
確かに、必要だ。


しかし、本質は、
「こういう性格の人間が、こういうシチュエーションで
 この台詞を言っている」
という状況があっての演技。


その配役の性格やシチュエーションが自分のなかに
できてしまえば、後は、実は自然と
「普通の台詞」となってでてくるはず。


そうすると、こんな性格だったら、
「こんな台詞もいうかもしれない」
「こんなしぐさもするよね」
とアドリブも頭にいろいろ浮かんでくるだろう。


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等々、2回以上同じものをみたためか、
そんなことを考えてしまった。


他にも、いろいろ思ったことはある。


役者さんとじっくり話せたら、
楽しい時間が持てるだろうか。


まあ、とりあえず、こうして省みてみると、
「自分のステージ演奏のためのいいヒント」
がいろいろあったかな。


また、明日も付き合いでみなければならなそうだが、
こういう目で楽しむのもいいかもしれない。



<昨年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20070504
<目に入ったニュース>
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