仕事のいやなところをみつめる

社のなかで、いわゆる失敗、
ミス、赤字、クレーム費、
こういうところをどう扱うか、
は大変重要と思う。


このことは、
昨今、「失敗学」なども流行って
認識されたし、
今は時代として、まずもって、
「隠すことが一番の悪である」
との方向なので、それなりに
まじめに扱われるように
なってきていると思う。


しかし、自分の職場を考えてみても、
こういったことに対応するのは大変だ。


今日、自分はその関係の仕事に
ちょっと関わったのだが、
以下2つ、思ったことがあった。


一つは、
スポーツでいうところの
「練習のための練習」
になっていないか、ということ。
失敗例なんかを、分析するチームでは、
「内容を詳細に掴む為」
として、どんどん、分析が細かくなっていく。
しかし、あまりそれが度を越えていくような気がして、
「そこまでして、意味あるの?」
といいたくなった。


もちろん、分析の結果、
それなりの結果がでてきて、
やってよかった、
ということもあるのはわかる。
しかし、
ほとんどのケースは、
「本当の原因」は、それほど複雑でなく、
「忙しかった」、「個人的チョンボ
とかが多い。
直し方も、だいたいわかるし・・・
(直さなければならないけど、
 直りにくいということを含めてだが)


分析担当者は、自分の仕事を確保するために
詳細にやっているのでは、
とか思ってしまうときがあるのだ。


もう1つは、
1番目と逆方向の意見なのかもしれないが、
「現場をみろ」ということ。


一番面倒で、やっかいで、どうしていいか
わからないもの、
というのは、現場の一番芯のところに
あるケースが多い。


例えば社保庁のトラブルは、
データを手書きからコンピュータへ
移し変えるところで起こっている。
おそらく、
その当時社保庁の方々が懸命になったのは、
「コンピュータにデータが置き換わったら
 どんなに便利になるか」
というところだったのだろう。


しかし、本来一番こだわるべきところは、
「データに置き換えるそのもののところ」
だ。
これは、自動化ができない泥臭い手作業だ。
そして、手作業であるゆえ、チェック対応とかは
万全にせねばならない。


でも、
全く上手くできていなかったのは周知のとおり。
やり方はバイトばっかりだったのだろうし、
ミスを拾い上げることも、
そういったことの責任の所在も、
うまく決められていなかったのだろう。


以上は想像なので、正確ではないところが
あるかもしれない。
でも、結果は、今の状況なのだ。


さて、
自分は、いまさら過去の社保庁の云々を
いいたいのではない。


自分のことを考えねばならない。


「一番やっかいなところ」
「一番面倒なところ」
それでいて、
「実は一番根っこにある仕事」
というものが、
それは大変だから、と
「みないようにする」
ことになっていないだろうか。
まあ、これは若手に任せよう・・・
バイトにまかせよう・・・
あとでいいや・・・
と。


怖いのは、無意識的にそうなる
こともありえるということだ。
社保庁の人が全員、鈍かったということは
 ないだろう。)



いやな仕事ほど、
かじってそのまずさを味わっておく
ことをしないといけないのだろう。



仕事って大変だ。




<昨年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20070218
<ギター趣味人>
http://guitar-shumijin.g.hatena.ne.jp/y1kirihara/20080427
<目に入ったニュース>
・・・時間なくなった・・・


<読書記録>
ひとことでいう 山本夏彦 箴言集 読了
(感想:「なるほど、辛口っていうのは、こういうことね」)


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