変な読書感想

「今自分はここで、なにが書きたいのか、わからない、
 ということを書いておこうと思う」


実に変な物言いだが、
思ったことを言葉にするとこのようになる。


実は読書感想なのだが、
先週の日曜日に市立図書館で借りた本は
・最新対論 神は細部に宿る
村上 龍 (著), 椹木 野衣 (著) 1993年
・地平線の階段 (1979年 自分が読んだのは'85年版)
細野 晴臣 (著)

前者が1993年の
作家村上龍美術評論家椹木野衣の対談、
後者は1979年、
あのイエローマジックオーケストラ
世に出るところまでの細野の
エッセイだ。


それを、今2008年を知っている自分が読んでみる。


過去、芸術家の最先端の方々が、
未来を(つまり今を含んでいるわけだが)
どのようにイメージしていたのか、
そんなことを思いながら興味深く読んだ。


「ずばりじゃん!」
というところもあれば、
「そういう解釈だったのか・・・
 でも今結果としては違っているよね」
と思うところもある。


以上・・・で、
「すごく面白かったか?」
というと必ずしもそうでもない。
あまり、ものすごく響いた。
と思って思い返すところが無いのだ。


だが、では、読まない方がよかったか、
というと、そうではなくて、
「これは読むべき本であった」
と確信している。


で、それが、最初に書いた言葉になったもの。


言い方を変えると、
「なぜ、自分はこの本を今読んだのだろう」
という気持ちの答えになる言葉を今探しているのだ。


実は、これらの本は
読みたくて選んだのではなく、
図書館で、たまたま借りたい本が
軒並み貸し出し中、
または、見つけた本は
手にとってパラパラ見てみると
どうも楽しめそうに無い、
という状況になって、
何の気なしに、手にとった本だ。


でも、読んでみて改めてみてみると、
文学、美術、音楽
の一流の感性を持った方が、
一昔前になにをどのように感じていたのか、
ということを続けざまに読んだことになるな
と思った。


「今自分はここで、なにが書きたいのか、わからない、
 ということを書いておこうと思う」


これは、どういうことか・・・
このブログを書きながら、なんとなく
わかってきた。


今読書感想として、
自分のなかに持ったものが、
その本の内容ではなくて、
「表現するときのスタイル」、
「思考の持っていき方」
そういったものが心に残ったのだ。


本当は、もうちょっとありそうなのだが、
これ以上は、「今は」書けそうにない。



これらの本は、それなりに楽しく読めたが、
同時に、「読みにくさ」を感じた。
そして、この読みにくい、と感じているものは
なんらか、今後自分が表現するものに
影響がありそうだな、という気がしている。


そういえば、昨年末読んだ、
エマニュエル・レビィナスも
非常に難解だったが、読んでみて、
「読むというのは、経験なんだ」
ということを感じたことを思い出した。


同じようなことを、
感じている。


<昨年の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20070214
<ギター趣味人>
http://guitar-shumijin.g.hatena.ne.jp/y1kirihara/20080427
<目に入ったニュース>
出張中につきパス。


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