ちょっと哲学的に

11月も終了。月の終わりと合わさった
形で、一つの仕事の区切りとなった。


お客様に1週間張り付いてもらい、
いろいろ検査を立ち会ってもらったのだが
それが終了したのだ。


その間、5人のお客様と、
昼食をともにし、
2回ほど、夜の食事もいっしょにした。


お互い誠意を持って仕事をしてきたという
自負があり、そのことから、
互いをリスペクトした関係となり、
昼食も夜の食事も楽しい一時となる。


仕事というのは、もちろんお金のやりとり
なのだが、それ以上に信用、誠意のやりとり
なのだ。


「いかに安く作って高く売るか」
もちろん、これが生きるために必要であることは
疑い様がない。
しかし、言い方がよくない。


「これだけ頂いたお金のなかで、
 できるかぎり理想に近いものをお渡ししたい」
これが筋だろう。


「なるべく長くお付き合いしたいから」
ということだ。


しかし、
現在の社会的な思想としては、
「株主の利益第一」とかいう考えとかで、
いかに儲けるか、しかも、
「今このとき利潤をいかに最大にするか」
ということが前にですぎかなぁと感じる。
「ドライに」「仕事ですから」
ということなのか。


わからなくはない。
でも、
楽しいのだろうか。
そして、
「長い目でみたとき、それが一番儲かる方法か?」
といいたい気持ちが生じる。


一方、誠意をもって仕事をしていくと、
お客様とはお互いリスペクトしあえる関係が
できる。
平たく言うと、とても仲良くなれる。
でも、
仕事の場では、
「お客様」と「メーカー(とか売り手側)」
をきちんと、演じ手として演じるのが
大人の対応ってものだ。


しかし、こちらも
過ぎたるは・・・ばかりで
汚職までいってしまっている例がマスコミを
通じてたくさん聞こえて来る。


「右肩上がりの社会」
という考え方が続いているのだろうな。


資本主義は
「どんどん作ってどんどんうれる」
「うれる場所は永遠に広がっていく」
「技術進歩は止まらない」
といった状況下での考え方だ。


でも、もう、これ以上増やす方向の
思想は行き着く先ないのがわかりかけている。
地球が持たない。
(技術が伸びていくのは、
 永遠に期待したい気持ちはもちろんあるが)



人口一定、つまり資源、ニーズが一定と
なったとき、どのように過ごすか。


産業革命前、
日本でいえば江戸時代か・・
社会は人の欲望をどのように
うまく消費していたのだろう。


そういった時代より、
より一段と便利なもの、欲望をみたすもの
を知ってしまったけれども、
「新しい継続」
みたいなものというか社会を
みつけなければならない。


・・・・・・
とりあえず、まじめに誠意をもって、
仕事とか趣味に楽しく過ごそう。


PS
江戸時代は、とってもたくさん
「祭り」があったとのこと。
自分としてはとても納得できる。



<昨年と3ヶ月前の今日>
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20061130
http://d.hatena.ne.jp/y1kirihara/20070830
<ギター趣味人>
http://guitar-shumijin.g.hatena.ne.jp/y1kirihara/20080427
<目に入ったニュース>
・首都圏でレギュラーガソリン155円前後に
・国家公務員:中途採用試験に162人合格 倍率155倍
(受験者は、どういうメンタリティなのだろう。ひとりひとり
 物語があるのだろうな)