ジャストなリズム

自分は手拍子というのがあまり好きでない。
特に、日本人の歌にあわせてする
表拍子2拍子みたいなのは、
どういうわけか、ひどくかっこ悪く感じる。


学生のころ、コンサートにいったとき、
「ここはどう考えても
 裏拍子の手拍子でないと・・・」
と思うようなケースで、思いっきり、
表拍子の手拍子が観客からでてしまう
ケースなどに遭遇し、
「日本人ってなんてリズム感がないんだ」
と思ったりした。


加えて、
その日本人である自分のリズム感にある種あきらめ
のようなものがあった。
というのは、以下の2つの自覚があったからだ。

1つは、自分は、
「自分はリズムをビートでなく、
 拍子で捉えている」
という感覚。
ビートというのは、一定のリズムだが、
自分は、
「3拍目が強く(長く)なり、次が4拍目」 
みたいな捉え方なのだ。

民謡が子供のころから家にながれて
いたが、民謡は、2拍目か3拍目が
異様に長く伸ばされ、
(いわゆるのどを聴かせてるところ)
そのあと、「はいーはい」とか
「ちゃんちゃん」できまった1小節だ。
西洋的な感性からいうと
「リズムもへったくれもない。」
のだが、こっちばっかりを聴いていたのだ。

だから、こういう感覚の方が根にあるのを感じる。

もう一つは、メトロノームのような
ジャストのタイミングが嫌いなのだ。
合唱、合奏では、みんなが同じリズム
で演奏するのが原則だ。
しかしこれが少人数になったとき、
自分はジャストで演奏するのが、なんか
とてもかっこわるいような感覚を
もってしまうのだ。
少し早めに「くった」感じ、
もしくは、ちょっと遅れた
「もたった」感じ
でないと、よくない。
自分にとってのジャストとはそういう感じなのだ。

これを数人であわせるとき、自分の
感性に任せてやると、
(けして正確なビートを見失っているわけではないのだが)
あわせる相手は相当やりにくそうだ。
さすがに相手がやりにくいそうなの
感じるので、多くの場合は、自分の
感性を殺して”あわせる(ジャストの演奏をしようとする)”
しかし、
時々まったく自分の感性のみで演奏してしまい、
リズムが崩壊してしまったこともある。
結果、
「こいつはリズム音痴だ」
とみなされてしまう

以上のようなことから、
自分は「リズムが苦手」なのだ。
しかし、
リズムの微小なずれが音楽の味になっている
のは間違いないと思う。
ギターソロでも
親指のベース音と、そのほかの指の撥音タイミングは
ずらすからこそ面白い。
完全に同時ではまったく面白くない演奏になって
しまう。
少しメロディーを遅らせる、もしくは、左手で
スライドしながら目的音への到達を少し遅らせる
ことが味付けなのだと思っている。

自分の好きなマーチンテイラーの演奏なんかだと、
この親指ベースと他の指のズレによって、
「まさに一人ビックバンド」というような
フィーリングまで生み出される。

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以上、リズムについて好き勝手かいてきたが
こんなことを書こうと思ったかというと、
ある本で、次のようなことを読んだからだ。
日本の三味線と唄については、
唄と伴奏がまったく同じタイミングというのは
だめな演奏なのだそうだ。
「くっつきすぎ」
として、注意されるという。

自分は三味線など習った事ないので、
なんともいえないが、
このくっつきすぎを嫌がる感性というのは、
自分の根っこにあるのかもしれない。

などと思ったのだ。



PS
自分は他の方と
いっしょに演奏することも嫌いでは
ありません。むしろ好きです。為念。
(もちろんリズムもあわせます。)

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