夢は、もっと儲かりたい!

2006年12月のクラスタフリーコンサートの日の17:30分、つまりお店開店の30分前に、自分はマスターに話をする機会を頂いてクラスタにやってきた。
実はその週の金曜日にマスターに、この文書(これまでつづってきた部分)をマスターに郵送して読んで頂いた。ここまで読まれた方は十分分かると思うが、自分はクラスタが好きだという気持ちをストレートに綴っている。従いマスターに最初に読んでほしかったのだ。そして、このページを大きく空白のままとし、
「ここは、ぜひ田中マスターと対談して書きたい。」
と書いておいた。金曜日に送って、土曜日が一日あって、次の日曜日がフリーコンサート。さすがに1日では読み終えないだろうと思っていたので、その次の日曜日くらいに時間とっていただけないかなあ、と思っていたのだが土曜日にメールが入った。
「読み終わりましたので、フリーコンサートの前の17:30にお店に来てくれれば、なんでも話しますよ」
「徹夜で読んでしまいました」
とのこと。うれしかった。

自分は感謝の気持ちをこめて、国分寺の丸井デパートで、お礼のピザと焼き洋菓子を購入して、17:30からのマスターとの対談に臨んだ。
挨拶を交わし、とりあえず、いっしょにピザを食べ始めた。
マスター
「何でも聞いてください」
自分
「それじゃ、聞きたい事ストレートにいってしまうとですね」
「最も楽しいと感じる瞬間は?」
「なぜ、こういうコンセプトのお店にたどり着いたのですか?」
「夢は?」
「以上3つが、聞いてみたいことです」
自分って、ほんとストレートだ。
それで、マスターが開口一番、言った台詞がこの節の題目として書いた、次の言葉だった。
「夢は、もっと儲かりたい!」
マスターは自分とおんなじくらい、ストレートなのだった。
マスターがにやりとするのをみて、思わず自分もにやり…
「インタビューなんて雰囲気にはならんよね」
という言葉がお互いに聞こえたような気がした。あとは、いつものマスターとの会話のペースなのだった。

マスターがクラスタを作った理由は極々単純で、こんなタイプのお店がなぜないのだろうというシンプルな思いからだそうだ。
「世の中には、人前で演奏をしたい人がいっぱいいるだろうに・・・自分がまずそうだ」
と思ったそうだ。で、やってみたら、なるほどと思ったとの事。
「これで飯を食うのは、大変」
ということがすぐわかったとのこと。
自分
「えっ、そうですか。いつもライブにぎわっているじゃないですか」
マスター
「人が入らない日もあって、そういう日は、本当につぶれることを考えちゃいますよ」
「でも…」と自分が言いかけると、
マスター
「うん、たしかに。ノルマとかチケット制とか、楽な方法はたくさんありますよね」
「でも、それは、自分にとってはライブハウスではないんです。」
「それでは只の場所貸しです。自分は普通のライブハウスがやりたいんですよね」
マスターはとってもとってもとっても普通に言うのだが、自分はこの考え方が本当に正しいと思う。(そして、かっこいいと思う。)そういうところが、次にマスターが答えた
「最も楽しいと感じる瞬間は?」
という質問の答えに繋がっていくのだろう。その答えは、
「お客様が喜んでくれるとき」
「すごい演奏を聴いたとき」
そして、
「マスターのおかげで、またギター始めたよ」
とお客様に言って頂いたときだという。ここまで聞いて、自分は最初にマスターが言った、
「もっと儲かりたい」
という台詞を重く思う。

テレビで美輪明宏がいっていたことを思い出す。
「いい教育というのは、美しい詩や、美しい音楽、美しい本をいっぱい経験すること」
その通りと思う。大人も同じだ。誠意のある、美しい音楽や劇、芸術に触れていることが、生きるためには必要だと思う。しかし、現実はなかなか厳しい。そのあとマスターと話した内容であるが、やはり
「芸術で飯を食うこと」
「芸術にお金を出すこと」
は、大変なのだ。
劇団なんて、普通にやれば絶対黒字になんかならない。俳優さんなども、日があたるようになるのは、本当に一握りだ。
音楽だってしかりで、クラスタにくるすばらしい音楽家が金持ちであることは少ない。それどころか「食べるのに困る一歩手前」の方も少なくないのだそうだ。(失礼な言い方かもしれません。すいません。)
でも、本当に「芸術なんか、何の足しにもならない」という風潮の社会になってしまったら、どんなにつまらないだろう… 自分は自分が住んでいる町を、そんな風にはしたくない。芸術をみんなが愛でる社会の方がずっと楽しい。

「マスター、マスターが儲かる社会がいいなと自分は思います」