8-2  ライブハウス

自分は、クラスタのマスターを尊敬している。
自分は社会人として普通に暮らせるようになって少し余裕ができたら、文化的なことでなんらか社会にかかわりを持ちたいと思ってきた。この社会的な貢献が大きくて、それを周りの人から期待され続ける人がプロなのだと思う。ギターでいえば、たとえば押尾コータロー氏は、多くのギタリスト、リスナーに感動、癒し、希望、その他諸々を与えて続けている。プロだ。
しかし、自分も含めて普通の人は押尾氏みたいな才能はない。押尾氏みたいな才能はなくても、押尾氏に負けないくらい社会に貢献しているなあ、とクラスタのマスターのことをみていて思う。
ミュージシャンや、プレイヤーでなくても、文化的な貢献は可能だ。CDを作ることにかかわっている人だってそうだし、ホールの建築家だってそうだ。
実は自分は就職活動しているとき、そういった職業が選択できる環境にあったときがある。でも、それを選ばなかった。音自体を仕事にすることで、音自体を好きになれなくなってしまうのではないかという、恐怖感があったのだ。趣味でつづけていきたい。そのときはそう思った。
でも40歳を過ぎてみると、時々音関係の仕事についていても面白かったかなと思う。
一方、クラスタのマスターは本当に直球勝負だ。自分のやりたいお店を立ち上げて、毎日がんばっている。
この節では、そんなマスターと会話したことについて、綴ろうと思う。