粗大ゴミのナイロン弦ギター

小学校6年生か、中学1年生のとき、親父が粗大ゴミで拾ってきていたナイロン弦のギターを使い始めたのが自分にとって最初のギターだ。 おそろしくぼろいギターで(まあ、粗大ゴミなのだから当たり前)ネックは今流行りの薄いネックと正反対で、正しくかまぼこ型。弾きにくいことこの上なしで、音もしょぼいギターだった。
家で、ギターを弾くものは誰もいない。でも親父もお袋も音楽は好きだった。特に親父は詩吟5段。いつも民謡を歌っていた。それで楽器を拾ってきたのだと思う。でも親父は自分では弾かなかった(弾けなかった)。ちなみに親父は楽器としては尺八をもっているが、音を出すのが難しすぎるとのことでほとんどお飾り状態。 だからなぜギターを拾ってきたのか不思議な気もするが、自分が小さいとき親父とお袋が
「この子は、ギターとか弾けるようにならないかなあ」
と話していたことを覚えている。ギター弾けると音楽を楽しめると思ってくれたのだろう。その一言がなぜか心に残っていたことが、弾き始めにつながっているように思う。
しかし、自分としては、学生のころ本音としてはサックスにあこがれていた。親父も楽器をすることには賛成してくれていて、中学1年生のときだったか、楽器屋に連れて行ってくれたこともあった。(このころのことを思うと、親父、お袋に本当に感謝せねばと思う。)しかし、結局買わなかった。 まず値段がどんなに安くても10万はする。買うのであれば「絶対やめない」という覚悟が必要だ。買ってからほっぽらかしにしたらお金を出してくれる親に申し訳ない。 そこで、本気でやるには? と考えると、音がでかいから学校のクラブに入って吹く、というのが現実的だ。店員さんもそれを薦めていた。ここで考えてしまった。そのころ自分は野球部に所属していて、野球ををやめたくなかったのだ。もしこのとき野球よりサックスを選択していれば、また違った人生となっていたことだろう。(大げさか・・)
そういった経験の結果、楽器というのは高価なもので、やろうと思うとそれなりの覚悟で手に入れてやらねばならないのだな・・・という気持ちを持った。こういう雰囲気の過程だったからだろう、拾ってきた粗大ゴミで、ネックがおそろしく太くて、ひどい音のギター・・それでも大事に弾いてみようという気持ちが自然にあった。そしてそれを手にして弾くようになった。
今でも実家に帰るとそのギターがある。相変わらず弾きにくい。でも、そのギターは自分に昔のことを思い出させてくれる。