技術特集記事

一番自分が興味があるのは、実は技術記事だったりする。やはり自分でギターを弾くので、少しでも上手くなりたいという気持ちはこの歳でも変わらない。でも、じっくり中身をみてみると、それらは同じような内容が繰り返されていることがわかる。まあ音楽なんてそんなものだろう。西洋音楽はそもそも音程としてはたった12音で、しかもそれを紙面で表現しようとしているのだ。それほどいろいろな技術論が出てくる道理はない。それでは、そういった技術論の記事は、マンネリで面白くないのかというと、そんなことはない。その理由は、『自分は同じ技術であったとしても、違うミュージシャンによって、言い方を変えて言われている』というところにある。確かに音楽を楽譜上で表現すると、ある程度、理論的なものは出尽くしているのだろうが、『理論上で同じ理論でも、言い方、表現の仕方が違えばそれは違う理論である』と、自分は理解している。「技術の説明の違い」はそのミュージシャンの「頭の使い方」「理解の方法」だ。紙面における説明の仕方によっては「音使いの方言」みたいにも感じる。微妙なものなのかもしれないが、これは結果的に音楽の質感の違いにつながっているはず、と思えるのだ。その場合、同じ事を違う言い方で紹介するということは、けして同じ理論を説明するにしても音楽的表現としての効果が違うのだから、出力が違うということで、「違う理論」といってもいいと思うのだ。考え方、理解の仕方、覚え方といったようなものは癖のようなもので、それこそが、その人からがでてくる味みたいなものの元になっているという考え方。そう考えると、技術論は同じ事を言っていたとしても「どのように表現しているか?」というところまでみてみよう、ということになる。結局「10人いれば、10人の技術論」となる。以上より、「同じことを違う言葉で、違うミュージシャンが説明する」ということでも読む価値はあり、と自分は思っている。
雑誌の読者としては、長く読んでいると自分に近い考え方、逆に全く合わない考え方というのに出会う。それは、理論上の話に留まらず、「文章の表現として肌に合うかどうか」ということも、無意識にジャッジしている。そういうレベルでも、共感したり、反発を覚えたりしながら読むことに楽しさを覚えているのだ。
以上、技術記事は自分は大好きな記事だ。