インターネット内コミュニティ

昔の自分の状況をちょっと書いているが、その「昔」において、一番いい情報が得られたなあ、というのは、やっぱり「友達から」だ。特に大学時代の友達(自分は寮に入っていた)からは、本当にいろいろな情報を頂いた。今でも感謝している。なので、いくらインターネットが発達しても「最後は、それだよね・・・」と思っていた。
しかし、その考えを今は改めている。
実は「コアな趣味」においては、インターネットは近場の友達以上だと認識を改めた。正しく言うと『とてもコアな趣味を持ったもの同士が出会う機会がリアル社会以上に開かれた世界』ということだ。
SNSでは、会員同士で趣味のサークルを立ち上げることができる。国内大手であるミクシィでは、それを「コミュニティ」と称し、本当に様々なものが出来上がっている。これがまた非常にコアなモノまであるのだ。でも、ちょっと考えてみるとわかる。コアであるからこそ、不特定多数の方に「こんな趣味で話し合いませんか?」と仲間を探し出したいのだ。コアな趣味の方ほどリアルの社会で同じ趣味の方と出会うのは、難しいと痛感しているはずだからだ。またそれゆえ、同じ趣味の方が集るコミュニティには是非とも入りたいという気持ちになるだろう。きっと、そこに属する方たち同志でその方たちだからこその楽しい情報のやり取りがなされているに違いない。そしてそれはすばらしく濃い情報源となっているに違いない。

以上、現在はほんと「音楽を探す」ということについては、便利な世の中になったと思う。正直言って、今の環境をうれしく思うし、同時にこの環境が自分の若かりし頃にあったらな、と今の若い方をうらやましく思う。
ただそう思いながら、もう一方で以下のような気持ちもある。
「人は、図書館にくれば頭がよくなるというわけではない。図書館に来ても、そこで本を読まなければ新しい出会いは得られない。今の方も同じで、たくさんの音楽に触れられる環境であるが、実際になにかを聴かない限りは図書館で居眠りしている人と同じだ。」
そういう意味で、自分の「音楽を必死に探した経験」は、「音楽を探すこと、そして聴けることに感謝する」という気持ち、つまり「音楽に対する渇望」みたいなものを持たせてくれたという意味ではいい経験となっている。

さて、以上で自分の「音楽の探し方」についての考えは、一通り綴った。最後にもう一つ、環境面ではない「音楽の探し方」について綴っておきたい。それは「生演奏を聴いて音楽を探す」ということだ。