つまらない練習と頭でっかちな演奏  

でも、自分は「練習」という言葉に対して、あんまりいいイメージを持っていない。2つの理由がある。
1つは、自分は音楽というものは勉強として取組むというよりは、感性で取組みたいと思っている。誤解されないように書いておくのだが、自分は勉強、特に自分から進んでやる勉強は実に楽しいものだと思っている。だから、勉強として取組むことは全くもってOKと思っている。
でも「演奏をする」というときの頭の使い方としては、理論、理屈でによってではなく、感性に従って弾きたいという気持ちがある。
音楽を演奏するにあたって、理論というのはすごく大事だし、便利だと思っている。しかし、頭で覚えている音使い、例えば「ペンタトニックの使い方」とか「○○モード奏法」とかそれを学問みたいにやって、それを出すことを目的としてしまうのは、自分の音楽の捉え方ではない。あくまで、感性が先にあって、その感性をより使いやすくしたり、理解しやすくしたりするために理論がある。音楽は「頭より耳が先にある」べきだ。 そういう考えでいきたい。

ジャズを先生に習いにいって、
「どうやったらいいアドリブができますか?」
という質問をする方もいると思う。自分は先生が音楽について本当に真摯に取り組んでいるとすれば、
「知らない」
と答えるのが誠意のある答だろうと思う。もしくは、
「かっこいいと思うように弾くのがいい」
とかになるのではと思う。
「この部分のコードは」
とか、一部を具体的に教えることはできる。しかし、数学のように
「これを弾いたら正解」
なんてことはない。というか、そうした考えだと、
「いつも同じ演奏」
となりそうだ。それは楽しい音楽になるのだろうか。  
音楽は、何か心のなかのエモーショナルなところからでてくるべきで、「頭で理解した」方法論をそのまま出してもつまらない。 もちろん、どんな人でも完全に無から音楽を生み出すことはできない。必ず先人の真似からだろう。
でも、そのスタート地点は、音という感覚、感性からであるべきだ。
方法論として、理論からスタートするというアイディアはある。でも、そのケースでもそれを音として聴いて「いい(面白い)音楽だ」と感じてこそ音楽だ。