音楽の断食 

平成18年1月のある日、仕事での出張のときに、音楽の断食をやってみた。この日記を紹介しよう。
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横浜から長崎日帰り出張。1日音楽断ちした。いうなれば、音楽の断食。
このところ、iPODシャッフルを手に入れ、出張の移動中なんかは音楽漬けだったりしたのだが、
「よくないのではないか?」
のと自分の内なる声が聞こえたため。さて、その感想であるが・・・・。

○ 完全な音楽断ちは難しい。
どこへいっても、音楽がある。東京では、”不可能”といっていいと思う。長崎は、東京よりは、田舎なので、それほどではない。でも、コンビニや弁当屋がアウトだ。なにかしら音楽が流れている。

○ 音楽断ちしてもさびしくはなかった。
特に禁断症状とかはなし。(忙しかったせいもあろう・・)移動中でなにもすることがないときも、新聞など読んでるとどうにでもなった。

○ 聴かないことも大切だ。
耳はときどき休めたほうがいいと思った。流しておくだけの音楽でも、聴いていないようで、やはり聴くのにエネルギー使っているのだ。音楽を聴かないようにしてみると、やはり、耳の疲れが少なかった。聴きたい音楽を聴きたいシチュエーションで聴くのがいい。「ながら」で聴くのは、それにメリットを感じないなら、やめたほうがいいというのが、自分の結論だ。

○ 音の断食後の夜のギター演奏は?
「音楽聴きすぎて感性が惰性に流される」といったことってあるのかもしれない。ギター弾くのは、好きな趣味ということもあり、いつも楽しいのだが、ずっと音楽断ちして夜ほっとして弾いたら、いつもより一段と楽しく感じた。

○ 断つことの必要性
時々断食するが、食にかぎらず、「断つ」という行為は、けっこう大事なのかもしれない。
断食すると、消化器系の内臓が休まるのがわかる。同じように、音楽断つのも、意味あったと思う。

いろいろ、普段自然にあるものを断ってみると、それらの本当の必要性は分かるだろう。自分としては、”活字断ち”が音楽断ちよりつらいと思う。本も、新聞もインターネットもだめという環境は、味気なくてつらそうだ。
//////////////////////////////////////////  以上日記から。
普段の生活であふれているいろいろな情報を一気に断(た)ってみること。それができるのが、旅とか、山登りなのかもしれない。そしてそれは音楽みたいな創造的な活動、表現する作業にとっては、必要なことなのかもしれない。このときは、「ひさしぶりに旅にでてみたい」という気持ちになった。