忙しさと感性 

忙しすぎると、感性は鈍るといわれる。確かに、仕事が修羅場を迎えているとき、「あの花きれいだな」とかいうことを気にしてはいられない。しかし、実は、こういう修羅場で花をきれいだと思える方が、本当の実力者かもと思う。忙しいとき、発想の展開が必要とされる時が少なくない。そういうとき、ふと立ち止まって、花の美しさに目をやれるような度量、まあ、先述の開高健のように、「悠々と急ぐ」みたいなことができる方の方が頭は柔らかいだろう。
また、自分が接している方を思い出してみると、美に敏感な方は、大体感性が鋭い。美的センスは、バランス感覚のセンスといいということだし、芸術的なセンスというのは、時代の要求といったものに鋭敏であることだからこれも仕事に必要なものだ。
江戸の商人は、「忙しい」と口にすること自体、、恥としていたそうだ。最初にも書いたが、忙しいとは、字を分解すれば「心を亡くした」ことだから、そんな態度で人と接するのは・・・ということだったらしい。見習いたい。

以上、「忙しさとギター」という、ことで綴ってみた。改めて読み返してみると、なんか変な題目だ。でも、いろいろ頭に浮かぶことがあった。これは、普段の自分が仕事や生活で「忙しい」と感じるときに、それをリセットするためにギターを手にすることが少なからずあるということだろう。
今後も、忙しさからギターを遠ざけてしまうことなく、忙しさとうまくバランスしてギターが弾いていければと思う。