うまく弾けることの先に

「うまく弾きたい」
この気持ちは演奏者として当たり前だ。そしてそれがうまくいかなくて、手がふるえてしまったりするのが緊張だ。一生懸命練習してきたのを、みんなの前で弾いて上手に弾けると相当うれしい。
でも「上手に弾けた」と思ってみたところで思った。
「上手に弾けた。よし!これはいつでも上手に弾ける。で、次は?」
上手に弾くのは、ある曲1曲に絞ってそれを1万回練習すれば、どんなに不器用でも、それなりになるだろう。で弾けたとして、 「次、自分はなにをめざすのだろう?」ということを思ったのだ。
少なくとも自分は、「ミス無く、緊張無く弾く」とことを最終目標にしているわけではないとわかった。ミスしてしまっても、それはそれ。「自分がこういう風に弾きたいんだ」というような弾きかたの方を優先させていきたいと思うようになった。言い方を変えると、今練習している曲について、
「(実は今は上手にひけないのだが)上手には弾けるようになったとして、その先どう弾くの?」
という自分への問いかけを、先にするようになった。そして、そう思ってみるとなんか緊張の種類が変わったのだ。
もう一つの理由。それは、
『四十過ぎている自分にとって、あがるという経験を得られるのは本当に幸せなことではなかろうか』
と思うことにしたのだった。
結果として、現在最悪のあがりはしないようになった。(まだまだ怪しいのだが・・・)

さて、本節の最後に、あがるということでもう一つ書いておきたい。クラスタの田中マスターはまったくあがらない人であると先に書いたが、マスターに直接、インターネットで、
「なぜあがらないのですか?」
と問い掛けてみた。(自分のブログにて)そうしたところ、マスターから直接コメントを頂いた。とても参考になるコメントなので、本節の最後にそのブログとコメントを掲載しよう。